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ボクシング

ボクシング世界戦の日本人対決!過去の名勝負2試合を振り返る!

2018/01/03

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今年も年末のボクシング世界戦ラッシュが近づいてきました。

今回の見どころの1つであるWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチは王者井上尚弥選手と前WBA世界スーパーフライ級王者河野公平選手との日本人対決です。

世界タイトルマッチの日本人対決ということでどちらも知名度が高く盛り上がること必至でしょう。

日本人対決といえば過去にも数々の名勝負が繰り広げられました。

そこで今回はボクシング世界タイトルマッチの過去の日本人対決の中から筆者が最も思い出深い2試合を振り返ってみました。

あくまで個人的な観点で選んでおりますのでご了承ください(^^)



■薬師寺保栄選手VS辰吉丈一郎選手

・1994年12月4日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ

世紀の一戦と言われたこの試合。

まさに名勝負中の名勝負といっても過言ではありません。

現在では年に何試合か日本人対決が見られるようになった世界戦ですが、当時はテレビの放送局兼ね合いのやら大人の事情やらでなかなか日本人対決が実現しませんでした。

そんな時代に実現したこの試合ですが、実は深い背景がありました。

1993年7月に宿敵ビクトル・ラバナレス選手(メキシコ)にリベンジを果たしWBC世界バンタム級暫定王者となった辰吉丈一郎選手はその後、けがで休養していた正規王者である韓国の辺丁一選手と王座を統一する予定でしたがこの試合により網膜剥離となってしまいます。

日本のボクシング界のルールでは網膜剥離となってしまった選手は引退が義務付けられているためこのルールにより王座返上、引退と発表されました。

しかし世界には網膜剥離になっても復帰し、その後も大活躍をした名選手も存在することから辰吉選手も海外で手術を受けます。

この間に薬師寺保栄選手が正規王者である辺丁一選手から王座を奪い、WBC世界バンタム級王者となります。

初防衛戦ではメキシコのホセ・フィノ・スアレス選手に10ラウンドKO勝ち。

2度目の防衛戦ではリベンジに燃える前王者の辺丁一選手を合計5度のダウンを奪うKO勝ち。

まさに脂の乗ったチャンピオンとなっていきます。

一方、辰吉選手の手術は成功し着実に復帰へと進みます。

ハワイのホノルルで行われた復帰戦の相手は薬師寺保栄選手のベルトに挑戦し10ラウンドKO負けを喫したホセ・フィノ・スアレス選手(メキシコ)でした。

薬師寺保栄選手が10ラウンドで倒した相手を辰吉選手は2ラウンドであっさりノックアウト勝ち。

この試合の勝利によりWBCから返上していた暫定王座のベルトを再び授与されました。

見事に復帰し、特例として日本ボクシングコミッションにライセンスが認められて国内でも試合が出来ることになりました。

WBCから王座統一戦が義務付けられた両者。

いよいよ対戦が現実味を帯びてきて日本中が盛り上がってきました。

史上初の日本人王者同士による統一戦、会場(名古屋と大阪)、放映権(TBSと日テレ)が入札へ、試合前の両者の舌戦などの要素も加わり盛り上がる中、ついに当日を迎えます。

超満員となった会場の名古屋市総合体育館レインボーホール(現、日本ガイシホール)は多数の辰吉ファンによる地割れのような辰吉コールが鳴り響き、まるで阪神タイガース押せ押せムードの甲子園球場のようでした。

そんな中、試合開始のゴングがなります。

的確なジャブと強烈なストレートを主体戦う薬師寺選手とロープ際に追い詰め連打を放つ辰吉選手。

ロープに追い詰めた辰吉選手に巧みなクリンチワークでかわす薬師寺選手、両者がもつれ合い辰吉選手が薬師寺選手を投げ飛ばすシーンなどもありました。

両者目じりから流血し、最後まで打ち合うすさまじい展開のまま最終ラウンドのゴングがなります。

結果は2-1で正規王者の薬師寺選手が勝利。

敗者となった辰吉選手は試合中に両拳を骨折していたことが判明し試合の壮絶さを物語っています。

両者とも最後までダウンすることなく壮絶に打ち合い、最後はリング上でお互いをたたえあった素晴らしい試合でした。

ちなみにこの試合の平均視聴率はというと、

関東地区で39.4%

関西地区で43.8%

開催地の名古屋地区では52.2%

まさにボクシング史に残る世紀の一戦でした。




■畑山隆則選手VS坂本博之選手

・2000年10月11日 WBA世界ライト級タイトルマッチ

元WBA世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)王者で一度引退したが再びリングに戻ってきた畑山隆則選手。

復帰初戦がいきなりWBA世界ライト級王座挑戦。

2000年6月11日、王者ヒルベルト・セラノ選手(ベネズエラ)を8ラウンドTKOで下し見事に新王者となり2階級制覇を達成しました。

そこでリング上から次戦の相手として指名したのが「平成のKOキング」の異名を持つ坂本博之選手。

それからちょうど4か月後の2000年10月11日、両者の対決が実現しました。

そもそも畑山選手はなぜ坂本選手を指名したのでしょうか?

平成のKOキング」の名の通り高いKO率を誇るハードパンチャーでさらに打たれ強く非常に危険な相手です。

過去3戦の世界挑戦もいずれも敗退しましたが、前回の挑戦は畑山選手が挑戦した王者ヒルベルト・セラノ選手でした。

その試合第1ラウンドに坂本選手は王者セラノ選手から2度のダウンを奪いKO寸前まで追い込みました。

しかし次のラウンドに王者のパンチを受けて大きく目を腫らしてしまい4ラウンド目にドクターが試合続行不可能と判断しTKO負けとなりました。

しかしチャンピオンベルトまで手の届くところまで来ていたことは間違いありません。

この試合を見ていた畑山選手はヒルベルト・セラノ選手攻略の鍵を見つけたようです。

また、畑山選手はよくモチベーションを意識した発言をしており、「気持ちよく打ち合える相手は彼(坂本選手)しかいない」と語っていたことがありました。

そのような経緯からか坂本選手との試合を臨んだのではないでしょうか。

 

「最高のタイマンをお見せします!」

畑山選手のこの言葉通り、と男の意地のぶつかり合いのゴングが打ち鳴らされます。

試合は1R目からバチバチに打ち合い両者の重いパンチが飛び交うスリリングな展開となりました。

的確にパンチを当てていく畑山選手と畑山選手を上回るパワーとタフさで応戦する坂本選手。

どちらも一歩も引かず目の離せない攻防が続きました。

迎えた第10ラウンド開始早々、畑山選手の放ったワンツーが決定打となり坂本選手がダウン。

セコンドからタオルが投入され試合終了となりました。

この幕切れは正直予想外でした。

勝敗云々ではなく、坂本選手がKOされる姿はイメージできていませんでした。

試合後の畑山選手のインタビューでは「(坂本選手とは)2度とやりたくないですね。」との言葉が非常に印象的でした。

それだけ壮絶な戦いだったことを物語っており、さらに完全燃焼したようにも見えました。

 

これぞボクシング!

まさにそんな試合でした。

 

■最後に

今回、過去の日本人同士の世界タイトルマッチ名勝負を2戦をお伝えしました。

どちらもその年の年間最高試合に選ばれました。

さて、今年の日本人対決となる井上尚弥選手と河野公平選手の戦いはどのようなドラマが待っているのでしょうか?

いまから本当に楽しみです。



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