川上憲伸引退!中日ドラゴンズ全盛期の絶対的エースが現役生活に幕!
中日ドラゴンズ全盛期の絶対的エースとして活躍した川上憲伸投手がついに現役生活に幕を閉じることになりました。
現役復帰に向けて取り組んでいた右肩のリハビリが残念ながらうまくいかなかったようです。
19日放送のCBCテレビ、サンデードラゴンズに出演した川上投手は心境を聞かれると「スッキリしますね。なんか重い荷が下りた気がします。でも寂しいですね。」とコメント。
引退を決めた理由を聞かれると現在行われているWBCを見てあのようなガッツのある投球が出来る自信がなくなったと語りました。
現役時代で思い出に残るシーンと言えば2002年8月1日に達成した史上70人目となるノーヒットノーランだそうです。
今後は解説者として野球に携わっていくようです。
■川上憲伸投手のプロフィール
生年月日:1975年6月22日
出身地:徳島県徳島市
身長:179cm
右投右打
徳島商~明治大~中日ドラゴンズ~アトランタ・ブレーブス~中日ドラゴンズ
※1997年ドラフト1位(逆指名)で中日ドラゴンズに入団。
■川上投手の功績
NPB通算成績(14年)
275登板 117勝76敗1セーブ 防御率3.24
MLB通算成績(2年)
50登板 8勝22敗1セーブ 防御率4.32
獲得タイトル
・最多勝(2004年、2006年)
・最多奪三振(2006年)
表彰
・新人王(1998年)
・MVP(2004年)
・最優秀バッテリー賞(2004年、2006年※捕手はいずれも谷繁元信)
・沢村賞(2004年)
・最優秀投手(2004年、2006年)
・ベストナイン(2004年、2006年)
・ゴールデングラブ賞(2004年、2006年、2007年)
・最優秀JCB・MEP賞(2004年)
・優秀JCB・MEP賞(2002年)
・月間MVP(1998年7月、2002年8月、2003年4月、2004年5月・8月、2005年7月、2006年5月、2008年6月)※8度はセ・リーグ史上最多。
・JA全農Go・Go賞(最多奪三振賞:2008年5月)
・日本シリーズ敢闘選手賞(1999年、2006年)
・オールスターゲームMVP(1998年 第1戦)
その他
・ノーヒットノーラン(2002年8月1日、VS巨人 ※史上70人目)
・開幕投手7回 ※球団史上最多
■打者としての活躍も
川上選手は投手ながら生涯8本塁打を放ちました。
中には逆方向への1発を放ったこともあり、一流スラッガー顔負けの本塁打を見せたことも。
2004年5月15日の横浜戦では0-0の投手戦の中、試合を決定づける1発をスタンドに叩き込み、1-0で完封勝利!
打って、投げてと活躍し、大谷翔平選手のような二刀流を披露した一戦でした。
メジャーの舞台でもタイムリーヒットを放つなど打者としても活躍を見せるシーンも印象的でした。
■指導者として再びドラゴンズへ帰ってきてほしい!
川上憲伸投手は2015年10月20日に中日ドラゴンズ退団を表明しました。
このシーズンは右肩の腱板を痛めた影響で、実戦登板の機会はありませんでした。
この年の9月末に腱板の再建手術を受けて再起を目指していましたが世代交代を進めるチームの戦力構想から外れとことが要因となりました。
尚、川上投手には球団からピッチングコーチとしてのオファーがありましたがあくまで現役続行を希望したためこの申し入れを辞退しました。
退団時には「もう一度中日ドラゴンズに入団したい」と語っており再起する時には「中日で!」といったドラゴンズ愛を非常に感じさせてくれました。
ドラゴンズの絶対的エースでチームやファンをこよなく愛してくれた本当に偉大な投手でした。
マウンド上で見せるあのガッツポーズにしびれたファンも大勢いたでしょう。
記録にも記憶にも残る大投手でした。
選手としてのドラゴンズ再々入団は叶いませんでしたが、指導者としてまたドラゴンズのユニホームを着た姿をぜひファンに見せてほしいものです。
しばらくは解説者として川上投手の野球理論を聞かせてもらいたいと思います。
川上投手、長い間お疲れ様でした。